説明編


第1節 ”事故”発生

 ここでは事故についてあまりよく知らない人ができるだけ早く事故の全容を知ってもらうために事故の経過を順を追って説明する。本節では日本航空123便(以下123便)の離陸から墜落まで(12日午後6時12分から12日午後6時56分まで)を記述する。

(用語については後述)

↑123便の経路

1985年8月12日

午後6時12分 羽田空港

日本航空のジャンボ123便大阪行き(乗員15人・乗客509人)が羽田空港を離陸する。

123便、一路「シーパーチ」へ直行する。

午後6時24分 伊豆半島西方の海上 高度約7200メートル

123便に「ドーン」という衝撃音とともに異常が発生する。この時機体後部を損傷。非常事態宣言「スコーク77」を発信する。

 このように123便は離陸後わずか10分ほどでアクシデントに見舞われるのである。この時の「ドーン」という衝撃は結果的に機体の垂直尾翼の一部とテールコーンの一部を破壊し、油圧系統を完全に使用不可能にした。ジャンボ機の垂直尾翼はその重要性ゆえにとても頑丈にできている。その垂直尾翼の半分以上を破壊したこの時の衝撃は相当大きいことになる。

 生存者証言によるとこの時の機内の様子は「白い霧のようなもの」が室内に一瞬現れ、すうっと風が抜けて軽いものが飛び散ったという。

 この後、123便はダッチロール運動(機首が左右に揺れ不安定になること)とフゴイド運動(機首が上下に揺れ、速度も大きく変化し不安定になること)におちいり、それらをエンジンのみで制御しなければいけないという極限状況下のフライトを約30分間続けることになる。

午後6時25分 伊豆半島西方の海上 高度約7170メートル

123便、東京ACC(東京航空交通管制部)に羽田への帰還を要求する。

午後6時26分 下田北方上空

123便からの通信より”油圧がだめになった”

(以降、123便は本来の飛行コースを北に向かって外れていく)

午後6時28分 駿河湾上空 高度約6630メートル

123便からの通信より”現在操縦不能”

午後6時35分 静岡県と山梨県の県境上空 高度約6420メートル

123便からの通信より”右最後部のドアが壊れた”

 この時の123便の航空機関士の発言「R5のドアが、あのー、ブロークンしました。」すなわち右最後部ドア破損の報は機関士の誤認である。R5ドアは墜落現場で発見され、飛行中、異常はなかったとされている。

午後6時40分 山梨県大月(富士山から北東方向)付近上空 高度約6720メートル

123便、大月を中心に大きく右旋回を始める。徐々に高度を下げてゆく。

 この時123便は降下の際、エアブレーキとして使用するためとフゴイド運動を抑えるためにギア(車輪)をおろして飛行していた。

 降下は午後6時48分頃まで続けられる。

午後6時44分 山梨県大月付近上空 高度約5100メートル

123便、大月上空を一周し右旋回を終了。元の飛行コースに戻る。

午後6時46分 八王子西方上空 

機長発言「これはだめかもわからんね。」

午後6時47分 八王子西方上空 高度約2700メートル

機長発言「山にぶつかるぞ。」

 このあと123便は高度2040メートルまで降下し、山(地上)に急接近する。そこであわてて機首を大きく上げるのだが、それは後の失速を引き起こすのである。

 ここまで123便は羽田空港または横田基地に向かって東へ飛行してきたが、47分から左旋回を始め西方の山岳地帯に向かってゆく。

 不時着できる広いところ(湖・海・広大な畑など)があまりない山岳地、市街地上空で降下しているところを見るとここまでは横田・入間・羽田のどこかへ着陸するつもりだったのであろう。

午後6時49分 東京都西部

123便に失速警報が鳴る。

午後6時50分 東京都と山梨県の県境

機長発言「がんばれがんばれ。」

午後6時51分 高度約2880メートル

123便、揚力を得るためフラップをオルタネート(電動)で下げる。

 123便は山との衝突の危険性があるにもかかわらず山岳地帯を飛行してゆく。コントロールできなかったためか?あるいは高原の広大な畑に不時着するつもりだったのか?ちなみに乗員の一人は不時着に備えて緊急アナウンス用のメモを残している。

午後6時53分 山梨県北部 高度約4100メートル

123便からの通信「えーアンコントロール、ジャパンエア123,アンコントロール」

午後6時54分 長野県と群馬県の県境 高度約3400メートル

 ここまで123便は主に東京ACC(東京航空交通管制部)と通信してきたが、ここからは東京APC(羽田空港進入管制部)との交信になる。

 123便は終始、東京ACC・APCを中心に地上と交信を続けていたが(一部は社内無線)、その陰で横田基地在日米軍からの通信があった。横田基地からは墜落まで何度も”着陸準備よし”の通信があったが最後までそれは受け入れられなかったのである。横田基地では不時着・墜落を想定してベトナム戦争を経験したベテラン軍医やヘリ、救難物資が準備されていたがそれらも使われることはなかった(日本政府からの救難要請がなかったということ)。

午後6時55分 群馬県南部 高度約3390メートル

東京APCからの通信より”こちら(羽田)の方はアプローチいつでもレディになっております。横田ランディングも可能になっております。”

123便からの通信より「はい了解しました。」

午後6時55分19秒

123便からの通信(発言)より「あたま上げろー」

午後6時55分42秒

123便からの通信(発言)より「パワー。」

午後6時55分45秒

123便からの通信(発言)より「あーっ。」

午後6時55分47秒

123便からの通信(発言)より「フラップアップ、フラップアップ、フラップアップ、フラップアップ。」

午後6時55分56秒

123便からの通信(発言)より「パワー。」

午後6時56分4秒

123便からの通信(発言)より「あたま上げろ。」

午後6時56分10秒

123便からの通信(発言)より「パワー。」

午後6時56分12秒

火災警報音が鳴る。

午後6時56分14秒

GPWS(地上接近警報)が作動し始める。

午後6時56分23秒

衝撃音が鳴る。

午後6時56分26秒

衝撃音が鳴る。

午後6時56分28秒

CVR、録音終了。

 異常発生から32分後、乗員の苦闘もむなしく123便は高天原山山腹に右に約30度傾いた状態で激突した。3時間分以上の燃料を積んで離陸し、墜落した123便は大火災を発生させ、一晩経っても煙は空に舞い上がっていた。

 これらの記録の裏には30分間以上続く極限の恐怖、操縦士・副操縦士・航空機関士らの奇跡ともいえる必死の操縦、客室乗務員の冷静な行動、乗客の助け合いと覚悟といった究極の人間ドラマがあるのを忘れないでいただきたい。

全体の流れ(123便の動き)のまとめ

”ドーン”という衝撃音とともに垂直尾翼が破壊され、ラダー(垂直尾翼にある方向舵)操作がまず不能になる。衝撃は油圧系統も破壊し、使用不可能にする(電気系統は無事)。

垂直尾翼の多くを失ったため機体がダッチロール運動を始め、それに伴いフゴイド運動が始まる。

富士山北方で高度を下げる。機体の操縦は左右のエンジンの出力調整・フラップ・ギアの出し入れで行われた。

横田基地を目前にするが、山岳地帯へ向かい出す。

群馬県に入ったところで急激に不安定になり、高天原山山腹に激突。

 ここに書いてあることを読んだ限りでは事故原因は全く分からないであろう。ただ相模湾上空で大音響を伴う何かが起きたことは確かである。123便という飛行機自体はまだ古い方の機体ではなく、全く老朽化はしていない。操縦士・副操縦士・航空機関士はいずれもベテラン。かなり特殊な出来事が起きたのである。強固な垂直尾翼を破壊し、機首を一瞬のうちに何度か持ち上げさせたこの衝撃は何かが垂直尾翼にぶつかったか、爆発したかのようであるが事故調(運輸省航空事故調査委員会)が出した結果は意外なものであった・・・。

←機体後方部の図

赤色に着色されている部分が「ドーン」時に脱落したところ

テールコーン内部のAPUエアダクトも脱落している(エアダクト及び尾翼の一部は相模湾で発見された)。 

ちなみに「ドーン」といっても実際には「ドーン」(または「パーン」)という衝撃音が短時間のうちに3回ほど連なったものであり、1回の音ではない。この音は午後6時24分35秒から36秒の間に起こった。 

  

 

 

 

  

 パイロットたちは最後まで事故原因を知らずに操縦をし続けた。事故直後に海への着水を試みず、羽田へ帰還するつもりであったところを見ると重大な事態と把握していなかったのかもしれない。123便のパイロットたちはその驚異的な技術で事故機の操縦方法を習得し、高度を下げ横田基地への着陸、もしくは羽田への北からの進入が可能なところまでもっていった。しかしそこからは山にぶつかる危険があったりして急に西方の山岳地帯に向かっていく。横田基地に着陸するといってもそこは市街地のど真ん中にある。市街地への墜落の危険性を考えて横田・羽田への着陸をあきらめたのか、何か突発的な出来事で方向転換を余儀なくされたのか、それとも何かに誘導されたのか。123便はより危険なフライトを続けていったのである。

 パイロットたちは何を思いながら山の上で操縦していたのだろう。家族や友人のことを考えていたのだろうか。それとも起死回生のチャンスを懸命にうかがっていたのであろうか。横田を目前に方向転換し、山地に入り込んだからには不時着ぐらいしか生還の方法はない。しかし地上との不時着についてのやりとりはなく、群馬県御巣鷹山上空付近でフラップを約5度出した時、急激に機体は不安定になり真っ逆様に墜落した。「WHOOP WHOOP PULL UP」と人工音声が鳴り響き、乗員・在日米軍の努力は無へと散ったのである。


このあとはまだ作成中です。

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